Eric Clapton
Eric Clapton
1945年3月30日、ロンドンの少し南に位置するサーレイ州リプリーという小さな街に生まれる。誕生直後に両親が離別したため祖父母に引き取られ、彼らの子供として育てられるという複雑な幼少年期を送り、歳の離れた兄だと思い込まされていた叔父の影響で早くからアメリカ音楽に親しんだ。やがてその興味はロックンロールからブルースへと向かい、自らもギターを手に取ったクラプトンは、1963年、18歳の時、ヤードバーズに参加。端正なルックスにも助けられて一躍、注目の存在となっていっていく。しかし、人気や名声よりもブルースを追求することに価値を見出していた彼は、ヤードバーズのポップ路線進出を嫌ってバンドから脱退。ブリティッシュ・ブルース界の指導者的存在だったジョン・メイオールのブルースブレイカーズにしばらく籍を置き、さらにブルースの道を究めていくこととなる。
1966年、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーとクリームを結成。ロック・バンドの表現領域と可能性を飛躍的に拡大させたこのバンドの成功によって「ロック界最高のギタリスト」の称号を手に入れた彼は、その後、スティーヴ・ウィンウッドらと組んだブラインド・フェイスの全米ツアーをきっかけにアメリカ人ミュージシャンたちと積極的に交流を持つようになり、彼らの協力を得て、1970年春に最初のソロ・アルバム『エリック・クラプトン』を発表。そして、さらにそのコンセプトを発展させ、デレク&ザ・ドミノスの名義であの歴史的名盤『レイラ』を完成させたのだった。
その後、さまざまな事情からクラプトンは数年間の空白期を送ることとなるが、「アイ・ショット・ザ・シェリフ」の全米No.1ヒットを生んだ1974年のアルバム『461 オーシャン・ブルーヴァード』で復活。この年の秋に記念すべき初来日公演を実現させている。以来、日本には定期的に訪れるようになり、79年の来日公演からライヴ・アルバム『ジャスト・ワン・ナイト』を残した。また、1988年に行なわれた25周年記念来日公演には、親友のエルトン・ジョンとマーク・ノップラーが参加している。
1991年春、クラプトンは幼い息子を事故で失うという悲劇を体験するが、その年の暮れには、ジョージ・ハリスンとのジャパン・ツアーを成功させ、亡き息子に捧げた「ティアーズ・イン・ヘヴン」の大ヒットでファン層を大きく拡大させることとなった。さらにアルバム『アンプラグド』の驚異的なヒットがつづき、93年の春にはグラミー賞6部門制覇の偉業を成し遂げている。
そういった大きな成功を受けて、94年には初の本格的ブルース・アルバム『フロム・ザ・クレイドル』、98年には自伝的な『ピルグリム』と、注目すべき作品をつぎつぎと発表。創作活動と並行して、カリブ海に私費を投じて建設した更生施設、クロスロード・センターの運営にも積極的に取り組んできた。
2000年以降も、B.B.キングとの『ライディング・ウィズ・ザ・キング』、少年時代へのオマージュ的作品『レプタイル』、ロバート・ジョンソン作品集2作、家族への愛を描いた『バック・ホーム』、J.J.ケイルとの双頭アルバム『ザ・ロード・トゥ・エスコンディード』と、精力的な創作活動を展開。並行して、クロスロード・ギター・フェティバルの主催、クリームの再結成コンサート、初の自叙伝の刊行など、年齢を感じさせない活動をつづけてきた。もはや常連となった感も強いグラミー賞の受賞回数はすでに17に達している。
www.ericclapton.com/


